本日はお茶の製法を研究し現代のお茶の基礎を作り出した男、永谷宗円についてお伝えします。

現代では普通にお茶屋に行けばおいしいお茶を買うことができ、コンビニではペットボトルのお茶を普通に買うことができます。

お茶が日本に伝わったころまだお茶は薬用などに用いられており庶民には流通していませんでした。

やがてお茶の栽培が広がるものの宇治の特定の茶師は幕府の許可を得て高品質の碾茶の製造を独占していました。

これにより富裕層が好んだ抹茶とは違い庶民が飲むお茶は色が赤黒く、味も粗末な「煎じ茶」なるものを飲んでいました。

煎茶の誕生

そんな中永谷宗円は15年の歳月をかけ製茶法を研究、 味も優れた緑色の新しい煎茶(正確にはだし茶)を作り上げます。

宗円が編み出したこの製法は「青製煎茶製法」と言われ後に日本茶の主流になります。

ちなみにそれまでのお茶は赤黒かったことから「黒製」と言われていた。

お茶の庶民化

その後永谷宗円はこの「青製煎茶製法」で作ったお茶を携えて江戸に出向き山本嘉兵衛を代表とする山本嘉兵衛商店に販売を託し、そのお茶は評判となり以後「宇治煎茶」と呼ばれるそのお茶は日本を代表するお茶となるのです。

ちなみにこの山本嘉兵衛商店は現在の山本山、上から読んでも下から読んでもの、あの 山本山 である。

その後宗円はその製法を惜しみなく伝えた為、「永谷式煎茶」は全国につたわった。

その後も茶の発展に尽力を注いだ永谷宗円は安永7年(1778年)に死去

その後永谷宗円の子孫の一人、永谷嘉男は東京で「永谷園」を創業することとなります。この永谷園、お茶漬けで有名なあの永谷園です。

お茶の発展に偉大なる功績をもたらした宗円は昭和29年(1954年)に大神宮神社に茶宗明神として永谷宗円が祭られています。

永谷宗円はお茶界のレジェンドであり、現在こうしたおいしいお茶が日常的に飲めるのも永谷宗円のおかげであるということは言うまでもありません。